圧倒的睡眠欲求

この記事は人間が書いています

健康診断にはちゃんといこう

それはある日の穏やかな午後だった。突然の知らない電話番号からの着信。私は携帯にかかってきた登録されていない番号には基本的に出ない。一度無視して、番号を検索してからかけなおす。

学校からの健康診断再診のお知らせだった。


真っ先に考えたのは、どういう感じでTwitterでつぶやこうかな、だった。でも結果がなにもわからないということはオチを用意できないということである。投げっぱなしジャーマンだ。体調不良キャラとしてのネタが笑い事ではすまなくなってしまうと思ってやめた。脳内でヒール役のレスラーがよろしい、と頷いた。

それから病院に行ってCTを取り、一週間越しに結果を聞いて異常ナシはあっさり証明された。
そのCTで別の異常が見つかり超音波検査にもまわされたが、それもなんてことなく、半年後に念のための検診に行って異常がなければもう大丈夫とのこと。
私は意外に健康優良児であり、病院のお世話になることは少ない方なので、2、3年分くらいの診察を2ヶ月で受けた。
超音波検査、腹を薬品でぬるぬるにされ、レジで商品のバーコードを読み取るがごとく機械を当て擦られる全く痛くないはずの検査なのだが、助骨付近に当てられたとき骨ぐりぐりされてやや痛かった。「ぎぇっ」と南国の怪鳥のごとき声を出してしまった。なんで? 痛みは一瞬だったので、南国の鳥はすぐ大人しくなり、マンゴーを求めて密林の彼方へ飛び去った。

そのプチ異常は肝臓だったので周囲からは「酒?」「酒なんか」と聞かれたが、私は某3%のジュース1缶でほろようどころか嘔吐するめちゃくちゃ燃費のいい雑魚なので違う。以前居酒屋に行ったときなんてみんなハイボールとかジントニックとか3杯くらい水も挟まず飲んで、私だけファーストオーダーの梅酒とお冷や2杯を2時間かけて飲んだのに私が一番顔が赤くぽやぽやしていて、意味がわからなかった。世の中間違ってる。水が世界で一番安くてうまい。

ということでけっこうどきどきしたけど何事もなかった。結局我慢できず結果のわかっていないうちから図太くネタにして喋りまくったら、普通に本気の心配をされて申し訳ない。周囲の人は大体やさしい。
「ウケません?」と言って「うけることはないよ」と先輩にマジレスされたのが一番ミスったな……と思った。すみません。脳内のレスラーがジャーマンスープレックスをかけてきた。脳内なので痛くはなかった。薄々お気づきの方も多いだろうが、私はプロレス技をジャーマンスープレックスしか知らない。
うそ、なんか、聞いたことあるのはいっぱいある、気がする。ほら、あの…ベリーベリーアラクリーム……? ちがう、これは私が好きなクレープのメニューだ。


とにかく何事もなくてよかったです。

手にはなにも残らない

手にしたくて、結局しなかったもののことを時々考える。それらは実際に手にしたものよりも曖昧でたぶん美化されていて、不思議と記憶になんどもちらつく。

例えば、雑貨屋で見つけたイヤリング。レース編みの白い花がぶらさがっているデザインのものや、オリーブとドライフラワーのブーケイヤリング。熟考して買おうと思ったときには何処にか旅立っていた。今でも名残惜しい。

浴衣を買うときに、さんざん迷って選ばなかった白い半帯。これはお祭りでみたらし団子をこぼしてしまうと地獄を見るね、と盛り上がってしまったせいで「みたらし」という愛称がつき、妙に愛着がわいてしまって困った。実際私ほどのクソドジぽんこつが汚さないわけはねえと冷静にジャッジして、別の落ち着いた色のものを選んだ。

NICE CLAUPの花柄のワンピース。正直どんなだったかよく覚えていないのだけど、いちばんかわいいと思った柄のワンピースがそのショップ限定で、財力がないので見送ったら次行ったときにはもうなかった。覚えていないのであったとしても購入したかわからない。

ミニサボテン。ちょんと咲いた花と、陶器の器とサイズ感がとてつもなく愛らしかったが、私は規定通り水をやっていたサボテンを数日でぐずぐずに腐らせた前科があるし(なぜ?)、なにより部屋が地獄なので、インテリアショップでちんまりと鎮座するその愛らしさを再現できる気がしない。

好きなイラストレーターさんの、気づいたときにはもう期限切れだったネットプリント。日付感覚を持たずに生きるな。

記憶のなかだけの風景。練習終わりに部室から出た後の夕暮れの空や、一面の海、結局入らなかった喫茶店。友達と手を繋いで帰った冬の道。脳内再生には限界があるし、今見てもおそらく特に何も思わない。価値があるのは付随しているあやふやな思い出の方だ。

当然のことだけど、時が流れているのを感じるとなんだか唖然としてしまう。気づけば私は成人している。
思っていた大人と違う、いや、予想通りかな。年が変わっても齢を重ねても劇的な変化などなく、自分がずっと地続きだということには、とっくの昔に気づいている。そういえば人生初の振り袖は想像よりもしんどくなかったけど、脱いだあともお腹回りがじんと痺れていた。


話が逸れた。
手に入らなかったものは数多くある。正直本気でなんとか探せば、ほとんどそれらと等価の代替品や、ひょっとするとそれそのものをまた見つけ出せるかもしれない。でもそうしないだろうな、と思う。
とはいえ偶発的な再会があれば卒業よろしくすかさずかっさらうだろう。私あの映画見たことないけど。

願わくば、人との別れもこんな感じでありたいな。手には入らなくとも、美化されて、思い出に昇華され、時々ふと思い出して懐かしく思うような。
とどのつまり、今この日々のことも最終的には「あの頃、楽しかったね」とざっくばらんに評して都合の悪い棘は抜き、時々取り出して眺めたいだけなんだけどね。

まあとにかく、私はわりと、手元には落ち着かなかったもののことを考えるのが好きである。
でももうちょっと部屋をきれいにできたなら、サボテンくらいはお招きしてお茶会でも開こうかな。

適切な既読のタイミングを教えてほしい

 LINEで、適切に既読を付けるタイミングがわからない。
 スマホ依存症気味なので、通知がスマホいじってる時によく来る。

 あれ、どうするのが最適解なんだろうか。
 雑談などではなく、何かしらレスポンスを求められているものだとする。

 即座に開けると相手がびびるだろうし常にスマホ触ってる人みたいに思われそうで嫌だ、事実だけど。
 でも本当に偶然、携帯を開いた瞬間通知が来ることもあるので、よくわからない見栄をはろうとしてしまう。
 そして読んで返事をするまでの間に、もうひとつふたつ追加でメッセージが送られてくるかもと思うと即既読は躊躇してしまう。
 相手が追加の文章を打っている途中だったら焦らせるだろうし、なにより会話のタイミングがぐちゃぐちゃになるのが面倒なので。

 それに、自分が読んだところですぐに答えを返せない場合、既読をつければ返事をする必要性が出てくる。なお移動中や熟考が必要な内容の時がこれに該当する。
 すぐにはちゃんとした返答ができないのに既読をつけるとどうなるか、答えは簡単、既読無視だ。
 それはさすがに感じが悪いが、「ちょっと後で返事する!」とわざわざ言うのもなんだかなという感じである。じゃあ未読でいいじゃん。
 お互い都合があり、相手の望んだ瞬間に自分がメッセージを読めるわけではないことは承知の上だろう。むしろその時間の自由度が文字でやり取りできるSNSの強みではないだろうか。
 何人たりとも、未読であることを責めることはできないのである。

 かといって、来ているのがわかっていてわざわざ長時間放置するのもどうかな、と思う。
 深夜とか早朝ならともかく、普通にほったらかすのは迷惑だ。相手が返答を求めているのだから。

 じゃあどうする、と考えて私が一番とってしまいがちなのが、5分程度待ってから読む、という方法だ。
 間をとっているようだが、これにも問題がある。
 会話のテンポがとてつもなく悪くなるのである。
 すぐに既読がつけばそのままリアルタイムでの会話に持ち込めるが、既読がないまま数分経過すれば「もうしばらく返事来ないかな」と思ってしまうだろう。そして携帯を置いて、しばらく注意を払わない。
 こうなった直後に私は返事を送っているわけだから、相手の想定する「しばらく」によっては一時間程度のロスが生まれることになる。
 メールならともかく、LINEでは長文を用いることが少ない。相手からのレスポンスがこまめにないと話を進めるのは難しいだろう。
 もう少し返事が早ければ、スムーズに会話が成立したかもしれないのに。

 そして考えうるもっとももどかしいパターンが、相手も同じように妙な気の回し方をして、5分程度のインターバルを入れてきた場合である。
 即レスなら即レスで返しやすいが、数分後の返事に即返すと、「え、返事はやw」と思われるのではないだろうか。もし相手もそういう細かいことを気にしてきたら?
 5分ずつのインターバル、会話1往復につき10分のロス。
 無駄すぎる。
 テンポの悪い会話はするだけで若干のストレスを生じさせる。より円滑なコミュニケーションは、どのタイミングでLINEを返せば成り立つのだろうか。


 とか書いてるうちに輝夜月のUFOのCM流れてきた、あれ見るとほんといろいろどうでもよくなる。NG? 深夜に 麺類 カモン 日清 焼きそば UFO のとこが好き。

 好きなタイミングで返せばいい。以上です。

いつかみんな大丈夫になる

空虚である。

辛いとすら思っていないのに、虚しさがある。
非常に能天気に春休みを謳歌しているだけで、日々に心配事や反省点はあれど、過剰にしんどいことや辛いことなどありはしないのだ。
でもなんか気づくと帰りの電車で泣いていた。何? 怖いんですけど。

理由のない感情がめちゃくちゃ怖い。なんでこんなに不安なの、と思うともっと不安になる。

そういうときはとりあえず気圧のせいにする。

今日は天気がよくなかったし、寒かったし。
そりゃあしんどくもなろうというものだ。そういえば普通に気分悪かったな。

そして、同じように泣いてしまう誰かのことを考える。

多分漠然とした不安は私が思っているより色んな人が抱えていて、みんな口に出さないだけなのだ。

こういうことを考えるとき、印象に残っているのは、『はちみつとクローバー』の花本先生が、さみしさを波に例えて説明する場面だ。
波がきて、引いて、それが周期的に繰り返される。その感じを、知ってる、と思った。
私は人生経験の浅い小娘で、本当に理解しきれているのかと言われればそれは違うのだろう。
でも、知っていると思った。
意味もなく声を殺して泣いて、乗り越えて、またぶり返す。延々とそれが繰り返される。凪いだり、荒れたり。でもどの瞬間も永続的でない。

衝撃があった。そういう感覚は多くの人がきっと持っているんだ。誰もが夜は波に揺られている。
自分だけじゃない、って、ありきたりだけど、安心する。

だから、自分がそうであるように、誰もが不安で、虚しくて、理由なく泣いてしまう時間を耐えていると勝手に思いこんでいる。そしてみんないつか大丈夫になれる日が来ると信じている。

他人は他人だし、具体性を持った誰かがその祈りの先にいるわけではないが、それでも自分以外のことを少し考えると不思議と心が落ち着く。
ぐるぐるした暗闇に小さく丸まった自分がどんどん落下していく光景が、自然と夜の浜辺に変わる。
波は穏やかに寄せては返し、月が海面を白く照らしている。呼吸が少しゆっくりになる。

自分のことでひとしきり泣き疲れてから、目を閉じて、みんなが大丈夫になることを考える。
みんなって誰なのか、大丈夫ってどういう状態なのか、なにひとつ輪郭は定まっていない。
あまりに漠然としていて、なにも解決しないはずなのに、心は静まる。
少しずつ自分の中で思考のための言葉がぼやけて、ほどけて、眠くなってくる。


おやすみなさい。

次は葡萄って書けるようになろうかな

怒濤のレポート週間が終わりほっとしました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私は計画を立てる意味がまるでないことに薄々気がつきはじめました。なぜなら実行しないから。
無意味に三連休を浪費したときはもう自己嫌悪がやめられないとまらないでしたね。
なぜ……? 予定は何もなく……あれだけあったはずの時間は……どこに……? 

そもそも予定では去年のうちに数個はレポートを消化しているはずだったので、予定って狂い続けてるんですよね。だめだこりゃ。

ということで自己嫌悪まっ逆さまになる前に、自分を少しでも励まそうといいところを一生懸命捻り出してみました。


この作業をするにあたって逆にめちゃくちゃ短所が思い浮かび、メンタルがやられかけました。そういえば私、自分の長所とか特技がぱっと出てこない人間だった。趣味すら即答できない。
自己アピールが死ぬほど苦手だし、以前ハンドメイドアクセサリーを通販で買おうとしたら迷いに迷った挙げ句「こんな素敵なイヤリングを私ごときが身に付けていいのか…? こういうのはもっとお洒落で素敵な人が身に付けるべきものであって…」だのとごねだして、知人に普通に怒られました。これだけで相当めんどくさい人間であることが伝わると思います。

前置きが長くなってしまいましたね、それでもどうにかこうにか絞り出したのでご覧ください。



①バラって漢字で書ける

突然ですが皆さんはバラって漢字で書けますか? 私は書けます。こう書きます。

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合ってる? 合ってる…よね? 間違ってたら恥ずかしすぎるな。
別に漢字が得意なわけでは全くなく、薔薇は書けるというだけですが、意外と書ける人少ないんじゃないですか? どうですか?
まあ書ける人が少ないというのはわざわざ書く需要が低いからとも捉えられますね。この変換予測のご時勢にね。

余談ですが薔薇ってバランスよく書くのが難しすぎる。駄洒落じゃないです。
何回か練習した上に妥協しました。


②脱いだコートをハンガーにかけられる

すぐ床に投げ捨てたり椅子の背に掛ける癖があったんですが、さすがに何着もの服やコートが全部同じ椅子の背に重ねてあるのを見て(めくれどめくれど服が出てくるのでそういう手品かと思った)改めねばと思い2019年の目標にして意識したらけっこうできるようになりました。えらい!

次なる目標は部屋を綺麗に保つ、ですね。いきなりムリゲーになった。生花でも飾ればマシになるだろうか。


③妄想力が豊富

前回の日記で完全に「ない話」をぶつけてしまったので読んでくださった方はお気付きかと思いますが、架空に生きている側面があります。
夏には完全に虚構の日記を書いたこともありました(飽き性なのですぐ飽きました)。気が向いたらまとめて載せようかな。

あとあるあるとして共感を呼ぼうとよく考えることを話したらドン引いた顔をされることが多いので、そういうことにしておきます。


④卵焼きが作れる

まだ下手だしボソボソになっちゃうんですが、練習の末に勝ち取った巻きなので誇ります。折角なのでその過程に散っていったやつらを見てってください。

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ひどいな。


⑤自分を客観視できる

なんか自分のいいところを探すに当たってスピーディーに30個くらい欠点が見つかったので、無理やりそういうことにしておきます。


⑥本を読むのがはやい

漫画の単行本なら大体1冊10分くらいで読めるので、漫画喫茶などでたいへん有利です。あともう少しで無料公開終了のWeb連載漫画を怒濤の勢いで読むときにも便利です。漫画ばっかり読んでるのがバレる。


⑦体内年齢が18歳

最近タニタの体重計に乗った結果です。筋肉量は少々心もとなかったのですが(祖母に負けていた)、意外にも体型は健康だったようです。よかった~。
実質未成年みたいなものなのでこれからそういうつもりで接してくださいね(?)。



以上、7つが見つかりました。
あんな考えてこんなに自己アピールとして役に立たなそうなことある? でもまあいいや。

自分にはいいところなんて一つもねえや……と思っちゃいがちな人、これくらいならなにか見つけられそうじゃないですか? 無理だったら人に聞いてみませんか。もしかすると、自分では背中の梅ぼしが見えていないだけかもしれません(フルーツバスケット再アニメ化楽しみ~~!)

まあこれくらいならわりとじゃかじゃか見つかると思うので、自分のいいところをどんどん見つけて、ついでに私のいいところも見つけてください! よろしくお願いします。

私からは以上です。
ご清聴ありがとうございました。

架空の犬の死がつらい

 愛犬は、名をとろろという。雪のように真っ白な、とは言い難いがとろろ程度には白いからである。わからない、こじつけだ。なんとなく、気づいた時にはとろろで、誰も由来を覚えていない。サモエドに似た雑種だった。

 私が物心ついた時にはうちにいた。アルバムにはぽてぽてした白い子犬と、これまたぽてぽてしたちっちゃい私のツーショットや、そこにさらに小さい妹が加わったスリーショットがよくある。子供と犬の組み合わせは最強であるからだ。

 夕方の散歩は私の仕事だった。好奇心旺盛なとろろに引っ張られ転んで大泣きして帰ったこともあったが、とろろは基本的にお兄さんで、私に合わせてくれていたように思う。優しい犬だった。ただ食い意地はすごかった。知らない間に焼き芋を拾い食いしていて、うわあごに皮をひっつけてびっくりしてひとりで苦しんでいた時には肝が冷えた。ぺろんととってやるとケロッとしていたので、その日のおやつはなしにしたのを覚えている。実はねだられてこっそりあげてしまったけど。

 高校に入ると帰宅時間が遅くなったりなにかと忙しかったので、とろろの散歩は気が向いた時だけになった。一緒に家でだらだらして、月に一度はシャンプーをした。ふわふわになったとろろは世界一可愛かった。家族でテレビを見ると、のすのすと私の腹に乗ってきた。修学旅行明けにはすごい勢いで飛びついて顔をなめ回してきた。あのあったかさと重さを今でも覚えている。

 落ち込んでいるとそばにきて、お気に入りのボールをもってきてくれた。珍しく雪が積もった年には狂乱といっていいほど喜び、公園の土まで抉ってどろどろになった。動物番組を見ては、「おまえが一番かわいいもんね~」と笑った。受験の時はとろろの誘惑を振り払うため学校の自習室に通ったが、反動で家に帰るとでれでれになった。

 とろろは私が成人する前におじいちゃんになって、ずいぶん軽くなった。おじいちゃんになってもとろろは世界一可愛いままだった。散歩のペースはどんどんゆっくりになって、今度は私がとろろに合わせて歩いた。何度か調子を崩し、入退院を繰り返した。苦しそうなとろろを見ると、私も苦しかった。

 やがてあまり目が見えないのか、ごはんをこぼしたり、今まで平気だった段差に躓いたりするようになった。近寄っても気づかないこともあった。ふんふんとよく動く鼻に手を寄せると、嬉しそうに顔を摺り寄せてきた。大学生になってからは、ずっともしかしたら、と思っていた。もしかしたら、明日帰ったら、この子はいないかもしれない。

 その日、偶然私はバイトがキャンセルになって早く帰った。とろろを中心に家族が集まっていたので、背筋が冷たくなった。とろろ、と名前を呼ぶと、ぱたん、ぱたんと弱弱しい動きでしっぽを振った。かつてはちぎれそうなくらい振り回していた、ふわふわしたしっぽ。その頃はご飯もあまり食べなくなっていて、痩せてあばらが浮いていた。

 老衰だった。穏やかな最期だった。眠るような。とろろは幸せだっただろうか。私は間違いなく、この優しくて大きくてとびきり愛しい白い犬にすさまじい量の幸福をもらった。またいつか押し倒さんばかりに駆け寄ってきて、顔中をなめて、ふわふわのしっぽをぶんぶんと振ってほしい。

 とろろ、ありがとう。

 

 

というここまでが犬動画を見すぎて犬を飼いたくなった私の妄想です。

この後辛くなり本気で泣きました。この話をしたら妹に「サイコパス……?」と怯えた目で見られたけど、こんなに共感することができる私がサイコパスなわけないだろ。この経緯まで人に話すと「いや自分の妄想に共感するのは共感能力関係ないやろ」と見事に論破されてしまいました。いやあの…想像力に限界はないから…他人を思いやることにも使えるはずでしょ……!

ちなみにうちはペット不可です。

ご清聴ありがとうございました。

重ね着のし過ぎで関節が曲げづらい

ずいぶんお久しぶりです。
継続的に書こうとかいうつもりはまるでないので三ヶ月おきくらいの更新になっていますね。
そもそもここがブログであることもあまり意識していない。備忘録というか、好きなようにくだらない文章を置いても怒られない場所です。レポートと違って。
まあ読んだ人には引かれてるかもしれないけど。メモの中に留まらせているのもなんだか虚しくなってしまうから、一番気楽な形に文章を書ける。

ということで支離滅裂に書いていきます。
寒くなってきまして、イルミネーションの季節ですね。
みなさんは夜景とイルミネーションは同じようなもんだと思う派ですか?
それぞれ違う見方をする派ですか?
私は後者でして、イルミネーションは完全に装飾、純粋に5歳児の頭で見てます。すご~い! ぴかぴかしててきれーだね! 
だから判定も若干シビアになる。
幼女、お世辞、言わない(幼女への偏見)。
我が大学は本当に心の底から冬季に一部でやっているイルミネーションがクッッソダサい。巻き方試行錯誤してる場合じゃねえぞ、LEDライト買い直すとこからはじめろや(問題発言)。学費を光らせるならせめてみんな楽しめる感じにしてほしい。

対して夜景ですが、これは人間の生活というか、文明を感じるものだなと。
夜景って綺麗だけど、綺麗に見せようとして作られているわけではないじゃないですか。
街灯、上から見たら綺麗だろうな~と建てられたわけじゃないし、電気の一つ一つがそこにいる人間が部屋の電気をつけているからであって、誰かに見せるためのもんじゃない。
忙しない車もどこかへ帰るために走っているのであって、自分が夜景の一部になると想定している人なんて多分いない。
そういう生活の集合体、人工物が目の前に広がると、景色が綺麗というのに加えて果てしない気持ちになります。
別に高いところから見ると私の悩みなんてちっぽけだな……とかいうはちゃめちゃ理論は一切適用しませんが。宇宙とかに行ったらさすがに違うかも。
ただ閉じたカーテンの向こうには色んな暮らしがあって、遠くの山の上にすら発電所の光が見えて、なんか…文明だな……と感じます。
でかい人工物に興奮する感覚というか。ダムとか。目に見える文明。

あともうひとつ考えたのが、夜景って高いところに行かないと見えませんよね。
高い、っていうのは支配のメタファーじゃないかなと思うわけです。
物理的ヒエラルキーとして上位だし。
思い返してみてください、悪の組織のボスのアジトはだいたいビルじゃないですか?
そしてボスは最上階にいませんか?
夜景を眺めつつワイングラスを揺らし、他の人間を駒として考えている言動をこぼしたりしていませんか? 
ドグラニオ様はそんなことないね。いかん、適当に言っていることがバレてしまう。
ルパンレンジャーVSパトレンジャー、面白いので見てください(ステマ)。
まあとにかく、高い位置にいるっていうのは支配権を持っていることを意識させるんじゃないかなと思うわけです。
そして夜景を作っている電気って、ある意味人間を支配しているものではないでしょうか。
なんだか今年のこととは思えませんが、象徴的な出来事として直近なのは北海道地震、のち北海道全域停電ではないだろうか。被害に遭われた方は本当に大変だったと思います。
無関係の私がこんなことを言うのはあまりに無責任だけど。
そして私はそれを聞いて、今の生活から電気がなくなったらと想像してぞっとしました。
今どれだけ電気に依存しているのかという自覚が足りていませんでした。
その今のほとんどの人間の生活を支配しているものを高さをもって見つめるということでそういう方向にも考えてしまう。

イルミネーションはひとつの舞台装置というかエンターテイメントであるわけで、例えばかの有名な神戸ルミナリエは鎮魂と希望を象徴するものですよね、そういう風により積極的に人にモーションをかける文化だと思います。
遥か昔に家族と行った気がする。人混み苦手マンなのできつかったです。すごく綺麗だったけど。

でもその起こりってなんなんだろう。
そういえば今日の朝、裸になった木に夜から朝にかけて降ったらしき水滴がたくさんぶらさがっていて、太陽の光でキラキラして綺麗でした。
ちょうど電飾をつけたみたいだなと思って、意外とそういう「きらきらして綺麗!」っていうのを自然から学んで飾ってる一面もあるのかな。
すべて妄想です。


結局本当に支離滅裂になってしもうた。
まあいいか、最近課題や発表が重なったりお出掛けの予定があったり漠然とした不安が強くて思考スイッチがオフになりっぱなしだなと思ったので、ストレッチみたいなもんです。
インターネットでストレッチをするな。

思考スイッチというのは別に学問的なもんでもなく、入ったから頭の回転がよくなるとか集中力が増すとかそんなことはなくて、だらーっと中学生が考えそうなこと(私はいつも中学生みたいなという枕詞でなにかを貶してしまうのでよくないですね)を考えるだけです。