圧倒的睡眠欲求

この記事は人間が書いています

私はまだ5000兆円を狙っている

 
 お兄ちゃん、なんでネットミームってすぐ廃れてまうん? 私はインターネットお嬢様とずっと一緒にいたかったのに……。でもまあなんとなく気に食わないというか、ツボにはまらなかったネタもすぐ彼方へ消えていくから一長一短だね。
 というのはさておき。クレジットカードの利用金額をみてぎょっとして、これが噂に聞く不正利用では…!?と思って明細見たら全部心当たりがある現象、体験した人は少なからずいると思うが、現金でも全然変わんねえなと思う。
 一応お小遣い帳というか、月の収入に対していくら使ったかを大雑把にメモするのを昨年の夏終わり頃からはじめていて、今も面倒くさがりながらもやっているわけだが、なにも考えず書き出しては清算する時にがっくりと膝をついてしまう。
え? あれ? こんなはずでは…とスマホの電卓をタップする指が震える。バイトのレジあわせ時に全然金額が違うときと似た恐怖。腹の底が妙に冷え冷えとする。
 大体私は数学は不得意でも算数は人並みにできたはずなのだが、なんだか金銭と物欲を秤にかけたこととなると不具合が出るらしい。
 1000円の出費も10回続ければ10000円。塵も積もれば山となる、野口も積めば諭吉となる。その当たり前の計算がどうも頭から抜け落ちる。シンプルに外食と間食に金を注ぎすぎ。
 外で茶を買わないとか多少歩こうと電車賃が安い行き方を模索するとか、それくらいのせせこましい節約はしているが、正直焼け石に水である。その努力は普通に居酒屋でのあと一品!であえなく相殺される。肉寿司おいしかったな~。酒を飲まないだけマシだと信じているけど。

 節制しようと思えばできる、なにせ生まれてこのかた実家にパラサイト、モラトリアムにしがみついて生きているのだから。
 でも節制を心掛けているときの精神状態は非常に不安定で卑屈、人の誘いにもあまり応じないし、百貨店の化粧品売り場をうろつくと目眩息切れ動悸に襲われる。救心を飲め。
 物欲と財布の中身は反比例で表せるのではないかと最近しみじみ思う。手に入らないものは繰り返し頭に浮かび、蠱惑的に誘惑してくる。夜道のピザまんを我慢して素通りしたときに限ってすべての信号で引き返して走ろうかという思いが頭をよぎる。ちょっと手が届かないなと思った化粧品の名前で毎日何度も検索をかける。なんだか気持ち悪いな。ストーカーの素質があるかもしれない。
 買いたい欲求が高まってもなにも買わないと決意する、この生活を一ヶ月ほど続けるとどうなるか。
 だんだん気持ちよくなってくる。

 待って、違う、マゾヒスティックな感情ではなくて、本当に気持ちよくなってくるから。大丈夫、怖くない、怖くない。
 一度買わなくても充足感が得られればいいのではと買いたくて買えるけど買わなかったものと金額をメモってみたことがある。一目で我慢したことで節約できた金額がわかり達成感を得られるのではないかと思ったからだ。最初はよかった。お菓子とか、コーヒーとか。だんだんメモの概要欄に「お昼ご飯」の文字が並びはじめたので怖くなってやめた。それ以来節約による快感がやや怖い。

 しかし消費社会はまわしてなんぼやろがい!!!! という熱い思いに急に支配され、手が届く範囲のものをとりあえず買う周期がある。
 そういうときに、消費は楽しいな、と思う。仲のいい人と食事をするのも、奮発して高いものを自分のために買うのも、誰かへの贈り物を買ってラッピングをお願いするのも、定価7000円くらいのワンピースを2000円くらいでゲットするのも、全部違った楽しさがあって、どれも好きだ。
 ちょうど今日、ずっと再入荷を待っていた型番が入っていたので思いきって買ったネイルが届いた。手持ちで一番高価なネイルが無印良品だった私にとってはわりと思いきって衝動に身を任せた方に入る。届いて、どこにもいかないのに塗って、一日中眺めている。本当に一日中眺めている。指先に色がついていると気が散るからと、二年前くらいまではネイルを嫌っていたというのに、正直今は今日買ったシリーズ全部ほしい。
 自分の身体で好きなパーツが手と耳と背面の肋骨なので、本当に楽しい。三ヶ月に一度くらいしか塗らないくせに。

 物欲以外にも消費欲は強い。美味しいご飯を探すのも楽しいし、今はゴッホ展とデザインあ展に行きたいし。
 ハムスターの回し車より直径の小さいちんけな回転でよくここまで胸を張れるものだ。いつかは土星の輪くらいのスケールで経済社会を手玉にとってみたいものである。
 物欲で発電できたらいいのにな。以上です。