圧倒的睡眠欲求

この記事は人間が書いています

いつかみんな大丈夫になる

空虚である。

辛いとすら思っていないのに、虚しさがある。
非常に能天気に春休みを謳歌しているだけで、日々に心配事や反省点はあれど、過剰にしんどいことや辛いことなどありはしないのだ。
でもなんか気づくと帰りの電車で泣いていた。何? 怖いんですけど。

理由のない感情がめちゃくちゃ怖い。なんでこんなに不安なの、と思うともっと不安になる。

そういうときはとりあえず気圧のせいにする。

今日は天気がよくなかったし、寒かったし。
そりゃあしんどくもなろうというものだ。そういえば普通に気分悪かったな。

そして、同じように泣いてしまう誰かのことを考える。

多分漠然とした不安は私が思っているより色んな人が抱えていて、みんな口に出さないだけなのだ。

こういうことを考えるとき、印象に残っているのは、『はちみつとクローバー』の花本先生が、さみしさを波に例えて説明する場面だ。
波がきて、引いて、それが周期的に繰り返される。その感じを、知ってる、と思った。
私は人生経験の浅い小娘で、本当に理解しきれているのかと言われればそれは違うのだろう。
でも、知っていると思った。
意味もなく声を殺して泣いて、乗り越えて、またぶり返す。延々とそれが繰り返される。凪いだり、荒れたり。でもどの瞬間も永続的でない。

衝撃があった。そういう感覚は多くの人がきっと持っているんだ。誰もが夜は波に揺られている。
自分だけじゃない、って、ありきたりだけど、安心する。

だから、自分がそうであるように、誰もが不安で、虚しくて、理由なく泣いてしまう時間を耐えていると勝手に思いこんでいる。そしてみんないつか大丈夫になれる日が来ると信じている。

他人は他人だし、具体性を持った誰かがその祈りの先にいるわけではないが、それでも自分以外のことを少し考えると不思議と心が落ち着く。
ぐるぐるした暗闇に小さく丸まった自分がどんどん落下していく光景が、自然と夜の浜辺に変わる。
波は穏やかに寄せては返し、月が海面を白く照らしている。呼吸が少しゆっくりになる。

自分のことでひとしきり泣き疲れてから、目を閉じて、みんなが大丈夫になることを考える。
みんなって誰なのか、大丈夫ってどういう状態なのか、なにひとつ輪郭は定まっていない。
あまりに漠然としていて、なにも解決しないはずなのに、心は静まる。
少しずつ自分の中で思考のための言葉がぼやけて、ほどけて、眠くなってくる。


おやすみなさい。