圧倒的睡眠欲求

この記事は人間が書いています

最寄りのブックオフが潰れた話

 
 先日、最寄りのブックオフが潰れた。

 まだ営業しているときから、なくなるらしいというのは知っていた。
 それを聞いてびっくりして、「じゃあ最後に行っときたいなー」なんて言って、結局行かないままだった。
 今日たまたま横を通った。
 家からすぐだけど、絶妙に生活圏内から外れていたので結構久しぶりだった。わりと背の高い建物だったのに、私の身長より高いくらいの、工事現場にありがちな、なんていうのか知らないけどあの白いやつ……伝わるかな、とにかくあの囲いがあって、なにも見えなくて、あ、もう建物もないんだ、と思った。

 思えば最寄りのブックオフには、小学生の頃からわりとお世話になってきた。幼い私にとってブックオフは、入れば本がたくさんあり立ち読みができ、買うにしても安いという楽園のような場所だった。
 たまにお小遣いを握りしめて青い鳥文庫の棚の前で悩んだ。一冊分のお金で数冊買えてお得だと思った。この頃の私はまだ貢ぐ快感を知らないので許してやってほしい。
 中学の時も何かにつけて立ち寄った。最高滞在時間は七時間である。
 七時間立ちっぱなしで飲食も一切せず、ただただ漫画を読んでいた。気が狂っている。
 三回くらい店員さんに「ちょっと前失礼しまーす」と目の前の本棚の整理をされた。京都ならお茶漬けを出されていた場面である。すみません。
 総額でいうと数万は使ってるはずなので許してください。もちろんその日はちゃんと買って帰りました。
 高校生ともなると、電車通学ゆえに行動範囲が大幅に広がり、まじでなにもすることがない休日に最寄りのブックオフに入り浸ることはまったくといっていいほどなくなった。そもそも入り浸るな。図書館に行け。
 ただこのブックオフは家から図書館までの道中に位置していたため、図書館に行った帰りにたまに寄ったりしていた。
 そして今、まじで最寄りのブックオフに行かないまま、その存在は消えてしまった。
 ブックオフはチェーンの古本屋だ。別に都会とは言えない微妙な町にあったブックオフがなくなろうと、ブックオフという概念が消えたわけではない。
 でも、なんとなく落ち着かない。

 なくなったことで、なんだか最寄りのブックオフのことを考える時間が増えた。
 頻繁に行かなくなってからもう数年が経っている。
 当然ディスプレイも結構変わっていたが、最新のものより、小中学生だったころの、私のブックオフ全盛期の配置がはっきり思い浮かぶのだ。
 めちゃくちゃ寂しいとかそんなことは別にない。
 実際長らく行っていなかったわけだし、不便といえば不便だが特段困ることはない。
 けれど妙にブックオフのことを考えてしまう。
 どうしてだろう。
 これが…………恋……? 失ったことでわかった、私の……本当の、気持ち……?
 とりあえず跡地が何になるのか、楽しみにしておこうと思う。
 美味しいラーメン屋かミニストップだとうれしい。



 最寄りの古本屋について抱いているなんか気持ち悪い執念じみた感情を語ってしまったので一応補足。
 本や漫画を買うなら新品が望ましいとはわかっています。いくら「この人の作品好き!」となろうと作者には一切お金は入らないわけですし。
 ただ、私は何気なく手にとって、そのまま引き込まれて本棚に揃えた作品たちとの出会いは中古本がなければなかったと思うと、否定する気持ちにはなれません。あと安いしな。
 読みたいものは無限にあるのにお金は有限なんだもん、困っちゃうよな。
 あと長時間の立ち読みはまじでうざがられるのでやめたほうがいい。以上、蛇足でした。

整理番号が8番だった

こんな幸せなことがこの世にあっていいんだろうか。
やまない耳鳴り、ちょっと汗の染みたライブTシャツ、右腕のだるさ、一部欠けてたラバーバンド、ワンドリンク制に伴ったぼったくった値段だった十六茶、手元に残る全部が夢じゃなかったって証明してくれていて、そんなことから確認しないと信じられないような、本当に何て言っていいかわからないけど、確かになにかとんでもないことが起こった。
支離滅裂になるのも許してほしい、最前列でUNISON SQUARE GARDENを見てきたんだから。
いつもは四角い機械に収まっている彼らが、数メートル先にいたんだから。

というわけで感想とも言えない、何が言いたいのかわからない駄文を書きちらかしています。


最初からずっと自然に笑顔だったし、誰にも何にも遮られずに三人を間近で見ていられることが信じられなかった。
一曲目、の直前、斎藤宏介が目を伏せたときの美しさを忘れない。
田渕は3曲目の時点で酸素不足で顔が真っ赤だった。あの運動量なら当たり前というかぶっ倒れていないのが不思議で仕方ない。夜な夜なドライブから間髪いれず喜怒哀楽だぞ!?
あと塊になった人間というのはいつでも恐怖の対象だなと思った。満員電車然り、満員御礼のライブハウス然り。
圧迫されて胃腸が縮んだ気がした。
後ろからの圧力で苦しさを感じる体が邪魔だった。
前に逃げようと自然と体がステージに近くなって、そこからさらに伸ばした腕が限界まで伸びたとき、指先がとんでもない熱気を感じた。
多分ステージを照らすスポットライトを掠めたんだと思う。夏の密室みたいだった。

僕らのその先で夕焼けのようなオレンジ色のライトに照らされて歌う斎藤宏介を見て、かみさまっているんだなと漠然と思った。
別に斎藤宏介とかUNISON SQUARE GARDENってバンドを神様として見てる訳じゃないけど、突然そう思った。
そんなことを考えるのは前の金曜ロードショーで録画していたシンゴジラを見たとき以来だった。
ちなみに僕らのその先は「改札 閉まる、乗り越し 精算してください」という歌詞ではじまる。間違っても世界平和や人類についての歌ではない。
不意に胸がいっぱいになって泣きそうになって、それは当然ながら悲しかったり悔しかったりする涙ではないけど嬉し涙というわけでもない、よくわからない涙だった。
ただそのせいでぼんやり滲んだオレンジ色と三人がただただ綺麗で、結局ちょっと泣いた。
私は絶対この先彼らに介入することはないけど、この人たちに幸いあれ、と心から思った。

最後の最後、シャンデリアワルツのイントロでどうなってもいいと思った。
肋が折れようと知ったこっちゃない、むしろ折れるなら折れてしまえ。
いやほんとに罅入ったらリタイアするし絶叫して泣きわめくけど。
でもだって、大好きなバンドの大好きな曲をライブハウスの最前列で、呼吸動作さえ見える場所で、おまけにアンコールの最後の曲として聴けるって、一体どんな確率?
生きててよかった、斎藤宏介の喉仏にできる影の形や、エフェクターを踏む仕草、よく唇を強く引いてギターを鳴らすこと、曲の合間に頬を膨らませていたこと、歌いながら時折右目を瞑るところ、こめかみに滲む汗、どれだけ楽しそうに音楽をしているか、目の当たりにできたことが狂おしく嬉しい。
彼がマイクから逸れた所で言った「ありがとう」「また会おう」が届いたことも。
陳腐な言い方しかできないけど一瞬一瞬が夢のようだった。
また会いたい。会いに行きたい。
願わくば、今日私をあそこに連れていってくれた友人と一緒に。

あと間違いなく私斎藤宏介と目が合ったし、なんならウインクもらった気がするんですよね。
目が合ったタイミングはなんとなく覚えてる、でもウインクはほんと記憶にない、なんか……中盤の曲のBメロくらいだった気がするけど自信がない、ほんとにない、頭真っ白になったから。
ということはもう疑う余地なく私に斎藤さんのウインクが直撃したという事実だけが残る。
誰にも反論させない、これは不変。以上です。